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アメリカ軍2
- 478 名前:ジーナ[sage] 投稿日:04/06/30 20:31 ID:???
- 1943年6月4日、左翼エンジンが2基とも停止するほど損傷を受けたハロルド・フィッ
- シャー機長のB-17が、一機本隊から落伍しつつも懸命に基地に帰るべく飛んでいた。
と、そこに「戦闘機接近!」との警報を機銃手が叫ぶ。一瞬クルーに緊張が走ったが、
- それが見紛える事がないほど独特なP-38のシルエットだと認めて安堵した。
フィッシャーは超短波通信で護衛を頼むと、P38は後上方の守備位置につき・・・B17
- に機関砲の連射を浴びせかけた。全く油断していたフィッシャーの機は海面に叩き落
- されるほかなかった。
こうしてクルーと愛機を失いつつも辛くも生還したフィッシャーによってP38の裏切りが
- 明らかとなり、情報部によってこのP38を駆っているのがイタリア軍のギドー・ロッシー
- 中尉であることが判ってきた。
ロッシーは、ムッソリーニ直々の許可を得て鹵獲したP38の米軍塗装そのままに、落伍
- 機狩りに精を出していたのだ。
復讐に燃えるフィッシャーは、16丁の機銃を積んだ銃撃専用型B17“YB-40”に乗り
- 込み、爆撃編隊から落伍した機を装ってロッシーのP-38を返り討ちにする案を提出し、
- 許可された。
- それから暫らくの間、フッシャーはロッシーを釣るべく編隊の殿を飛び続けたが、ロッ
- シーは本物の落伍機撃墜のスコアを重ね続け、全くYB-40の相手をしなかった。
- 479 名前:ジーナ 続き[sage] 投稿日:04/06/30 20:32 ID:???
- 必死になったフィッシャーは、情報部から連合軍の占領地域コンスタンチーヌにロッ
- シーの妻子が居るとの報告を受けると、すぐにロッシーの妻ジーナのアパートへ面会に
- 向かい、
それから基地にとんぼ返りすると、中隊所属の絵描きにYB-40の側面に黒髪の美人像
- とジーナという名前を大書きさせた。
8月31日フィッシャーのYB-40“ジーナ”号は、ピサへの爆撃編隊とともに出撃したの
- だが、ドイツ軍のMe109によって右翼エンジン2基ともが停止するほどの損傷を被った。
現実に落伍機になってしまって、囮どころの騒ぎではなくなっていたとき、副機長が単
- 機のP-38を発見した。
そのP38は片方のエンジンをフェザリングし速度を落としつつ近づいてくると、パイロット
- が手を振っているのが見え、そして無線で爆撃機と共に帰投したいと呼びかけてきた。
フィッシャーはこれに応じて、重い弾薬と機銃の投棄をクルーに命じた。
そのとき、「粋な名前だな。ジーナってのは・・・彼女はコンスタンチーヌ出身かい?」と
- P38からの通信ががあった。ロッシーだ!!フィッシャーは慄然とすると、すぐに機銃投棄
- 中止を命じたが、すでに左後側部と通信士は機銃を捨ててしまっていた。
次の数分の間、フィッシャーはジーナ・ロッシーと過ごした夜について惚気話でっち上
- げて時間を稼いだ。ロッシーはまんまと釣られ、逆上するや喚きながら方エンジンを再
- 起動し、前方から攻撃をかけようとした。
今だ!YB-40の二つの前方砲塔は、ロッシーのP38を捕らえた。P38の補助翼は飛び
- エンジンからは火が噴出した。
しかしロッシーはあきらめず、フィッシャーに体当たりを試みようとしたが、コントロールを
- 失い、結局果たせず海面に着水した。
着水したP38の翼の上に立ち、拳を上げて挑発するロッシーを機銃掃射すべきだと言う
- YB-40のクルー達をフィッシャーは諌め、そればかりか海空急難隊にロッシーの位置を
- 通報してやった。
その後フィッシャーは、ベルリン空輸従事中に事故で亡くなったが、その死を悼む者の
- 一人に、ギド・ロッシーがいた。
- 253 名前:眠い人 ◆ikaJHtf2 [sage] 投稿日:04/07/18 22:11 ID:???
- 1942年の合衆国軍の準公式出版物である「将校便覧」には、参謀長、憲兵司令官、
消防隊長など、各職務の役割の概要が、半ページずつ充てられている。
が、広報官の活動内容には6ページも割かれている。
そんな宣伝活動を重視した米軍であるが、第二次大戦中、戦時労働者の士気の
- 低下を防ぐ為、好成績を上げたチームには、E旗(Excellence Flag)が与えられた。
これは海軍工廠から一般の工場まで広く実施されたが、缶詰工場の労働者から、
- 自分たちの役割が軽んぜられていると言う声が出ると、今度は彼等向けに、A旗
- (Award Flag)が作られた。
そんなこんなで、各職の労働者の声を聞いていたら、最終的に231の旗が授与
- されることになったという。
そりゃ、6ページも割かれる訳で。
- 619 名前:名無し三等兵[saga] 投稿日:04/07/31 19:25 ID:???
- 黒船で有名なペリー艦隊は日本へ寄港する直前に琉球王国へ立ち寄り
石炭補給庫を作る許可を取り付けている
ペリー艦隊の所属はアメリカ合衆国海兵隊であり
次に海兵隊が日本に上陸したのは1945年だったとさ
- 920 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:04/08/25 20:08 ID:???
- 太平洋戦争中輝かしい武勲を建てる一方で、
自分の撃った魚雷が当ったり商船の体当たり喰って沈んだりと
お茶目さんな事例にも事欠かないアメリカ潜水艦隊だが、
よりにもよって陸上砲台に撃沈されたヤツがいる。
1944年5月に北千島・松輪島沖で海防艦「石垣」と商船2隻を撃沈した
「へリング」が沖合いを浮上航行しているところを守備隊が発見。
海軍の砲台と陸軍のに砲撃され、そのまま沈没。
乗員全員行方不明。
なお当の砲台の戦闘詳報は「敵潜に命中弾を与えるも潜行して逃走される」
と記録され、戦後まで撃沈していたとは思ってなかったらしい。
- 685 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:04/09/08 22:00 ID:???
- 最もアメリカ人が死傷した戦争は第2次大戦ではなく南北戦争である。
戦後、ある州の予算の約5%は傷痍軍人の義手義足に当てられた。
ろくな医療技術もなく、安易に手足を切断したためと思われる。
講和が決まった際、対峙していた両軍の将兵が駆け寄って、
泣きながら抱き合った戦場もある。
- 691 名前:名無し三等兵[] 投稿日:04/09/08 22:59 ID:rfBfEGwI
- >>685
抗生剤の発見・発明以前の軍隊では当たり前の行動だった。
簡単なケガでも、細菌の侵入で壊疽を起こしてしまう。
敗血症を起こす前に手足の切断をするしか、助ける方法が無かったのだ。
- 686 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:04/09/08 22:24 ID:???
- 第1次大戦のアメリカ軍参戦は、連合国にとって、
援軍でなく災難であったと記す歴史家がいる。
インディアンいじめが主任務のアメリカ軍は、
緊急増員で数倍に水増しされており、
軍隊とは呼べない素人集団であった。
英雄ヨーク軍曹は、新兵訓練中に
「お前は射撃が巧いな。よし、軍曹にしてやる」
と昇進させられた。
もー、ムチャクチャである。
- 55 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:04/09/13 23:15:42 ID:???
- ウェストポイントで「士官は気の利いたジョークを飛ばせるようになるべし」という
- 指示が出たことがある。
結果は知らない。
- 451 名前:眠い人 ◆ikaJHtf2 [sage] 投稿日:04/09/23 00:48:40 ID:???
- 1941年7月発行の実戦手引書21-100『合衆国歩兵操典』より
各歩兵の居住区について
『「居住区準備、テントを左(あるいは右)へ」の命令と共に副官は嚮導の右につく。
嚮導は前の隊列の右側の兵の右につく。(中略)
小隊長の指示に従い、奇数番の者は銃剣を抜きそれを左足かかとの外側、甲近く
の地面に突き刺す。
これをテント前面のポールの位置とする。(中略)
「テント張れ」の命令で各員は、右足を大きく右斜め前へ一歩踏み出す。
奇数番の者は後方のガイピンを、後方三角ピンからテントピンの長さで2.5個分離れた
所に打ち込む。
通常、テントは敵に発見されない位置に設営し、戦闘中はこの原則に従うが、テントの
整列は必ずしも要求しない』
戦場でこんなことが出来るかどうか、考えてみれば解ると思うが…。
- 451 名前:眠い人 ◆ikaJHtf2 [sage] 投稿日:04/09/23 00:48:40 ID:???
- 山本五十六長官機撃墜作戦を立案した時、海軍省長官は始め、この「暗殺」に
- 乗り気ではなく、「敵の指導者を殺害する道徳的問題に関して、教会指導層の
- 意見を仰いで」漸く作戦決行の腹を決めたと言う。
信じられないが、本当だ。
- 455 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:04/09/23 09:07:05 ID:???
- 第一次湾岸戦争のときも、CIAの進めていたフセイン暗殺計画を、パパ・ブッシュが道徳的なことを
理由にして実行を見送りしていたという話があったような。
- 99 名前:名無し三等兵[] 投稿日:04/10/05 10:44:23 ID:S1ImHzq3
- 日本語が少しできる中国系アメリカ人の海兵隊兵士が大戦中、真っ暗闇の
戦場で日本軍兵士と会話をしたが発音が変なところは体調が悪いとごまかし
ながらなんとかしのいだが生きた心地はしなかったそうだ。
- 755 名前:名無し三等兵[age] 投稿日:04/10/18 17:29:58 ID:???
- WW2時、ドイツ軍の操車場を攻撃したP-47の一機が
右翼の爆弾が装置の故障で落ちなかった。
そのまま着陸するのは危ないので、翼を上下させたりしたが落ちなかった。
見かねた隊長機がそのまま真っ直ぐ飛べというとなんと
爆弾と翼の間に自分の翼を無理やり突っ込んだのだった。
そして無事とれ・・・ない。がっちり食い込んで隊長機も離れなくなってしまった。
さすがにおっかなくなって二人ともパラシュートで脱出した。もちろん機体はオシャカ。
「あん時は怖かったよ、がっはっは」と当時隊長機に乗ってたじいさんの
お茶目な笑いが印象的だった。当時は低速だったからできた芸当なんだろうな。
- 263 名前:名無し三等兵[] 投稿日:04/10/26 23:06:27 ID:UtdlHM92
- 軍事に直接関係無いかもしれませんが
第一次世界大戦時、アメリカ軍は、人種間に能力の差はあるのかどうか?
を調べる為、調査を行なったことがある。で、その調査の結果は、当然と言えば当然だが、
育った環境、受けた教育等から来る能力の差はあれ、人種間には優劣の差は無い。
と言う物だった。が、この調査は、時代が時代だけに、公表されること無く、そのままお蔵入りとなった。
時が下って第二次世界大戦中、アメリカは、ナチスに対抗するプロパガンダの為、各兵士に、
「肌の色、人種、民族等による能力の違い、優劣等存在しない」
と言うことを啓蒙する、小冊子を配布しようとした。
その時、科学的裏づけとして、蒸気の調査の結果を使うことになった。
が、その調査の結果の中には、一部の南部州の白人の平均学力は、一部の北部州の黒人は愚か、
一部南部州の黒人よりもほんの少しだが低い、と言う物が含まれていた。
之に、南部の保守系の議員が反発、この小冊子の配布を止めさせようとした。
しかし、まさか、白人が黒人よりも、(ちょこっとだけとはいえ)劣ることを示したデータが載った小冊子を配るな!!
ともいえない。
で、彼らが、反対の理由としたのは、「冊子の挿絵のアダムとイブにへそが描かれている、之は聖書への冒涜だ」
と言う物だった(神が創ったアダムとイブにはへそが無いとされていたので)
そして、誠に信じられないことだが、表向きとはいえ、この理由が通ってしまい、件の小冊子の配布は見合わされることとなった。
こんな国に負けてしまうなんて・・・・・・・・・・
- 223 名前:眠い人 ◆gQikaJHtf2 [sage]
投稿日:05/01/01 11:29:33 ID:???
- 1945年8月27日から9月20日に至るまで、B-29はある特殊な任務に就いていた。
これは、日本軍によって捕虜となった人々が収容されている施設に対して、米軍がそこに到着するまでに補給品を投下する任務であった。
B-29は40個の投下品、重量にして4.54tの積荷を積んで、1機乃至6機で日本の勢力圏に飛行し、捕虜収容所に向けてパラシュートで荷物を投下したのだが、中にはパラシュートの在庫が無くなり、それ無しで投下されたものもあり、積荷の直撃を受けて死亡したものもいた。
爆弾倉から投下された積荷は、自動索によってパラシュートを開いたが、普通、この索は回収する。
しかし、今回は緊急任務のために回収は行われず、一度投下した後、爆弾倉の扉が閉められ、パラシュートを背負った乗員が自動索を切るために爆弾倉の中に行き、ナイフなどでこれを切った後に、乗員が戻ったのを確認してから爆弾倉扉を開いて落としたりしている。
この作戦は、B-29延べ1,066機が参加し、4,470tの補給品を投下、8機が失われ、77人が犠牲となった。
その損害の内、1機は、朝鮮半島にある捕虜収容所に出撃したときに、ソ連戦闘機の迎撃を受け(ソ連はこれを「誤り」としている)、撃破されて不時着させられたものである。
ちなみに、この補給品で約69,000名の捕虜の栄養状態、衛生状態を改善出来たという。
敗戦直後にB-29が日本上空を飛び回っていた話を良く聞くが、一つはこの任務のためだった。
信じられないが本当だ。
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