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123 名前:名無しさんだよもん [sage] 投稿日:2000/10/07(土) 11:17
ある英軍士官が、ビルマで原住民の部隊を組織し、日本軍に日夜ゲリラ戦を
展開していた。
しかしある日、本国より退官通告が来る。離婚の当事者となったためだった。
体面を重んじる英軍の体質の一例だが、この時はさすがにその士官の上官は
その通告を本国に突き返したという。
374 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [] 投稿日:2000/10/18(水) 23:21
メコン川鉄橋は映画では英国人技術者の助言によって完成し、英国士官の
せいで爆破された。

じつは全て日本の鉄道部隊の手で完成された。メコン川鉄橋ではなくて
木製橋なのだが、度重なる英空軍爆撃の攻撃を受けて何度も橋は落ちた。
でも結局その日のうちに修繕されていたので、映画のごとき劇的なシーンは
あまりなかった。
654 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2000/11/07(火) 22:41
連合軍の兵士には無料でペンギンブックが届けられた。
ちょっと前まで高校や大学に行っていた米英軍兵士は
活字に飢えていた。戦場で純文学や古代ギリシャローマ哲学に親しんだ
(それしか不幸にして届かなかった)一般庶民も多い。

出版社にとっては戦後の読者を狙った作戦が大当たりした。
補給された無料書籍のうち基本的にはポケット版聖書が一番多かった。
699 名前:ふぁいるず[] 投稿日:2000/11/08(水) 01:49
BEF(大陸派遣軍)撤退後の英軍はことのほかドイツの降下猟兵を恐れ、
そこで設立されたのがLDV、即ち民兵組織であるが、同組織をドイツの宣
伝省は「ほうきを担いだ軍隊」として揶揄していた。
しかしそれはあながち間違いとも言えず、猟銃や博物館から持ち出したロン
グソードで武装するのは未だましな方で、「各自一袋のコショウを持ち歩き、
いかなる招かざる客の襲来もこれで妨害するように」と言い渡された部隊も
存在したという。
700 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2000/11/08(水) 01:52
>699
ロングソードでましな方って…
服装も推して知るべしなのかな?
701 名前:>699[] 投稿日:2000/11/08(水) 01:53
竹槍・防空頭巾よりは実際的です。
703 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2000/11/08(水) 01:57
>701
日本の場合降下猟兵じゃなくてB−29とP−51が相手だからなぁ・・・
ナオワルシ。
561 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:01/10/16 00:11 ID:r0kDXYqu
第2次大戦中のイギリスで、戦闘機の機銃掃射の効果を調べる実験が行なわれた。
  ジープに等身大の人形を数体乗せたものをターゲットとし、そこから離
れた所で実験を多くの軍人達が見守っていた。
  やがてやってきた戦闘機はなぜかその軍人達めがけて射撃を開始。
しかも機銃には手違いで模擬弾ではなく実弾が装填されていた。
  弾丸の雨あられの中逃げまどう将軍やら大佐たち。地面に転がる
無数の勲章。
  結局この実験は、将軍一名の死亡を含む多数の死傷者を出した
大惨事となった。
  なおこの事故の死傷率は、事前に行なわれた計算の予測値と見事に
一致していたそうだ。
128 名前:眠い人 ◆ikaJHtf2 [sage] 投稿日:01/11/07 22:29 ID:G9Z7TKMv
1942年、英領だったシンガポールは日本軍の猛攻で陥落した。

それから終戦まで、シンガポールのラッフルズ博物館・植物園はシンガポール
が昭南島と名を換えたのと同じように、昭南博物館として数名の日本人によって
維持管理された。
但し、そのスタッフには敵である英国人が数人おり、自由に街を歩くことが出来、
更にはトラックや自動車も自由に使用できたそうな。
(しかも驚くべき事に、この人々は捕虜の身分だった)
134 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:01/11/07 22:52 ID:i2J+/bTQ
>>128
それに関しては、このエピソードは感動的と言えます。

http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h12/jog164.html
137 名前:眠い人 ◆ikaJHtf2 [ ] 投稿日:01/11/07 23:03 ID:G9Z7TKMv
>>134
原典はE・J・H・コーナー著
「思い出の昭南博物館」です。

かの地を訪れた日本人従軍画家に対するちょっとした意趣返しと、
「小さな兵隊さん」のエピソードが良いですね。
154 名前:名無し三等兵[] 投稿日:01/11/09 21:06 ID:Bq1p8XmN
ある日のこと。イギリス王家の所有であるウィンザー城に、ドイツ軍の爆弾が落ちた。
そして、イギリス空軍第80飛行隊のアディソン大佐は、ウィンザー城の執事から電話
を受ける。
「恐れ多くもウィンザー城の中庭に爆弾を落とすとは、よくもそんな勇気がおありのこ
とだ」、と大佐は厳しく叱責された。

第二次大戦中、ドイツの爆撃機が電波で誘導されロンドン上空まで飛来してくること
は割と一般市民にも知られていたらしい。で、イギリスは電波誘導に妨害電波で対抗
していた(クニッケバイン誘導電波とアスピリン妨害電波)。
ところが、一般には妨害電波は「誘導電波を曲げる」ものと曲解されていた。
つまり、ドイツの爆撃機に対してイギリスが爆撃位置を指定できると執事は信じ込んで
いたのである。

事実は誘導を失い自機位置すら見失ったドイツ機が燃費を上げようと、所構わず適当
に爆弾を捨てていたので、たまたま王家の城にも落ちてしまったらしい。

また、執事の思い込みと同じ理由から、イギリス空軍はダブリン空襲をアイルランド政
府から「わざとダブリンを爆撃させたのか?」と非難も受けている。
イギリス空軍もさぞ応対には困ったことだろう。

ソース:「連合軍の傑作兵器・駄作兵器」
389 名前:名無し三等兵[] 投稿日:01/12/04 00:54
ドーバー海峡の機雷原の縁で軸受けに故障を起こした英駆逐艦。
甲板に空軍の識別マーク(例の三色同心円)を付けてはいたものの、
雲が低いしどうか、と危惧していたら、突然「英空軍の」爆撃機2機
が雲間から突っ込んできて爆弾を投下。
すると、その後ろから「独空軍の」戦闘機が数機現れて、爆撃機を
追い払ってくれたとか。それからしばし上空を旋回していた物の、
すぐに識別マークに気づいたらしく、「あほくさ」といわんばかり
の様子で機銃弾を数発船の前に打ち込んで、さっさと行ってしまっ たとか。
391 名前:389[] 投稿日:01/12/04 01:08
「××上空で戦闘機隊と会合して、『ドイツ護送船団』を攻撃せよ」
と命令された、雷装のボフォート隊。途中でさんざん行き違いがあり、
戦闘機だけ先に行ってしまったのも知らず、基地上空をひたすら旋回
して待ち続ける。
飛行機側が無線電話に切り替えられていたことも伝わっていなかった
ため、地上では必死で新しい指示を無線電信で送り続けるが、当然伝
わらない。
とうとう燃料が切れそうになったため、基地に着陸した搭乗員達が、
「いったい何の出動なんでしょう。(中略)。めざす敵ってのは何なんでしょうか。」
と質問したのを聞いて、基地司令は
「君達がなんのためにここへ来るのか、誰も言わなかったっていう
のかい…」と絶句したとか。

彼らが攻撃すべき『ドイツ護送船団』は、ドーバー海峡を突破して
ドイツに戻ろうとしている、シャルンホルスト、グナイゼナウ、プリ
ンツ・オイゲンの2戦艦1重巡を中心とした部隊だった。

チャンネル・ダッシュ時のイギリスは、「信じられないが、本当だ」
な話の宝庫ですな。
552 名前:T.K[] 投稿日:01/12/29 23:47
 WWUでイギリス本土はドイツの潜水艦隊による通商破壊によって、食料を
始めとするあらゆる物資が不足した事は有名ですが、戦前には3000万トン
もあった食料の輸入量は、終戦直前には1000万トンまで落ち込みました。

  しかし、それでイギリスが同じ戦時中の日本の様にひどい食糧不足と栄養失
調に苦しんだかというと、実はそうでは無く、むしろイギリス人の食生活は戦
前より向上したとさえ言われました(ちなみに食糧配給は戦争が終わってから
もずっと続き、完全に配給制度が廃止されたのは1954年です)。

  これはどう言う事かというと、戦前の量的には多くても栄養価の低い伝統的
なイギリス料理の多くが、味は悪くとも加工性(食材を無駄無く利用する)や
保存性や栄養価の点で良く研究された代用食に置き換わったためです。
  その為戦中〜戦後のイギリス人は安価で不味い代用食中心の食生活を強いら
れたにも関わらず、殆どの人が戦前よりよほど健康になったそうです。
554 名前:名無し三等兵[] 投稿日:01/12/30 01:01
>552
新鮮な食肉の供給が絶望的になり、戦時中のイギリスでそれに代用されたのが、
アメリカから食料援助で大量に供給されたランチョンミート、こと「スパム」の缶詰。
調理法さえ適切なら、けしてまずいものではないんだが、
毎日スパムの食事にイギリス人はよほどアタマにきたらしく、
「モンティ・パイソン」でもスパムをからかったギャグがあるのはおろか、
くだらない電子メールを「スパムメール」と言うのは、それが語源。
555 名前:元英国住民[sage] 投稿日:01/12/30 01:26
>>554
英国の飯は普段からスパム以下だぞ。スパムをまずいと叫ぶ資格など英国人にはない!
556 名前:元沖縄県民[sage] 投稿日:01/12/30 05:02
>554-555
…というふうに「まずいもの」の代表格扱いされるスパムだが、
元沖縄県民として「それはデマだ!!」と心から叫びたい。

20年にわたる米軍占領時代に
スパムは沖縄料理の重要な食材としてすっかり定着しました。
そう、>554氏のおっしゃるとおり、調理法を間違えなければけっこうイケるのだ。
ほかほかごはんとはかなり相性はよさげ。
557 名前:海の人[sage] 投稿日:01/12/30 11:03
>556
  給食にも出てますね、海の人的には内地の「家畜飼料」みたいな給食と違って
ナカミ汁とかソーキソバとかアーサ汁とか沖縄料理フルコース楽しめておもしろ
かったり:-p
559 名前:名無し三等兵[] 投稿日:01/12/31 13:25
>むしろイギリス人の食生活は戦
>前より向上したとさえ言われました

ドイツは大戦末期まで国民に戦争前と同じ食糧を(カロリーレベルで)
供給していた。

え?ニッポン? 島国なのに食塩の欠乏が重大問題になる始末ですわ
744 名前:名無し三等兵[] 投稿日:02/01/14 00:25
空母やら潜水艦まで開発して物笑いの種になった皇国陸軍だが、イギリス陸軍も
19世紀末に魚雷を正式装備として採用していた。
もちろん、対艦攻撃用に。
252 名前:眠い人 ◆ikaJHtf2 [sage] 投稿日:02/02/25 21:56
英国の1944年当時の怠業日数は1938年の3倍に上った。
有る造船労組員が組合の掲示板で勤労モラル向上を訴えただけで、3ポンドの
罰金を科せられた。
なお、独軍の「英国人との付き合い方八箇条」には、英国人が新しい状況に対応
する際も非常にスローモーで有るが悪意はあってではないこと、労働者階級には
命令調ではなく、丁寧に友情を持って接すれば味方に出来ることを記している。
104 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:03/08/12 23:04 ID:???
アロー戦争(1856〜60)の際、イギリス軍は世界でも屈指の名園といわれた
円明園を焼き尽きした。
301 名前:名無し三等兵[] 投稿日:04/01/22 14:19 ID:+o6PfdQ7
イギリス軍の爆撃機は、ナチスに占領されたヨーロッパ諸国に
コーヒー豆の入った小袋を投下する作戦を実施した。
コーヒーが自由に手に入らない現状を認識させ
占領軍に対する不満をかき立てる作戦だった。

ちなみにその当時のオランダではコーヒー豆1ポンドが30ドル以上した。
代用コーヒーはタンポポやチューリップの球根から作られていた。
65 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:04/02/22 01:06 ID:???
1916年その後4ヶ月続くことになる第一次ソンム戦の初日である7月1日
イギリス軍第10ウエスト・ヨーク歩兵大隊は


進軍から一分以内で事実上全滅した。
67 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:04/02/22 01:16 ID:???
>>65
何があったんだ・・・?
68 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:04/02/22 01:32 ID:???
>>67
みんなで機関銃座の前に出てったんじゃないの。
69 名前:名無し三等兵[age] 投稿日:04/02/22 01:39 ID:???
やってたなあ。映像の世紀で、第一次大戦で強力な
火器の出現、戦車の登場、塹壕線。
戦争でおかしくなった人の映像がショッキングだった。
423 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:04/05/20 12:07 ID:???
イギリスではWW2中も、労働者によるストライキが後を絶たなかった。(ただし、
本部の意向を無視して現場単位で行われる「山猫ストライキ」というもの)
16 名前:眠い人 ◆ikaJHtf2 [sage] 投稿日:04/07/10 21:55 ID:???
(その1)
英国人のエース達には、色々なニックネームが付いている。
その一人、第二次大戦における夜戦エースのJohn Cunningham大佐には、Cat's Eye
と言うニックネームが付けられた。
これは、夜戦パイロットで初めてDFC勲章を得た時、当時機上レーダーの存在は秘密
だったため、彼のスコアは、格別の夜間視力の所為だと言われたためである。

そんな彼だが、実は猫が嫌いで、Cat's Eyeのニックネームは心底嫌がっていたらしい。

(その2)
同じく英国の夜戦トップエースであるBransome A. Burbridge中佐は、実は良心的兵役
忌避者だった。
しかし、6ヶ月後に神の啓示か、空軍に志願した。
彼は、レーダー手のBill Skeletonと組んでから、戦果を上げるようになり、1944年11月
4日夜間には、僅か200発の弾丸で、Bf-110を1機、Ju-88を3機撃墜した。

そんな彼等だが、共に信仰が篤く、戦後、Burbridgeは伝道師、Skeletonは司祭に転身
したと言う。
6 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:04/09/12 22:08:35 ID:???
イギリス軍は第2次大戦中、飛行機を使って
ナチス占領下の国々に、コーヒーの小袋を投下する作戦を行っていた。

理由は、コーヒーが飲めない現状を被占領国の国民が認識し
反ナチスドイツになることを期待するためである。
イギリス人らしい、発想である。

ちなみにコーヒーの輸入が途絶えた占領下では
様々な物が、焙煎されてコーヒーの代用にされた。
8 名前:名無し三等兵[] 投稿日:04/09/12 23:36:57 ID:wnbz6Mmi
>>6
なんかの物質が入ってるかなんかすると
焙煎するとコーヒーになるらしい。
ちなみにタンポポの根っこもなるらしい
なんか条件をこの前いってたけど忘れた
だれかしらないかな。
15 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:04/09/13 00:09:06 ID:???
>>6
一説には、第一次世界大戦における「キール軍港の反乱」の原因は、
開戦からずっと暇を持て余していた上にコーヒーの支給も滞るようになった水兵達が
ついにブチ切れたためだとか。

そうしてみると意外とバカにできない作戦かもしれんw
645 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:04/09/26 02:20:12 ID:???
スコットランド兵は撤退するとき整列しキルトをまくって敵に尻を見せる。
646 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:04/09/26 02:32:41 ID:???
それって、交戦前に敵を挑発してるんじゃないのか?
150 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:04/12/31 11:10:02 ID:???
日本の航空機、特に爆撃機は滑走路の短さや地盤の緩さがネックで
性能が限定されてしまったが、
イギリスではやたらあるゴルフ場がそのまんま滑走路として使え、
しかもB17等の大型機の離着陸にも問題が無かった。
206 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:05/01/01 03:41:27 ID:???
戦争経済ネタに関して一つ。
ナポレオン戦争後の英国では、戦費その他諸々の為に巨額の国債を発行し、
1821年の段階で国内総生産の3倍近くの国債残高があった。
しかし、財政改革により財政黒字が生じ、巨大な戦争も起こらなかったため、
第一次大戦までには国内総生産の3割にまで国債残高は減少した。

……一世紀近くかけて、債務不履行(ソ連)やハイパーインフレ(ドイツ、日本)
に頼らず、財政問題を克服したイギリスは凄いわ。
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