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ニューギニア


581 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2000/11/07(火) 09:39
 昭和19年4月22日,米軍は東部ニューギニア,アイタペおよび
ホルランジャに上陸した.
  その地域は当時無防備状態.
  日本軍は,ウェワク周辺にいた陸軍航空部隊・海軍部隊・その他
後方要員,数千を,数個梯団に編成し,ホルランジャへ出発させた.
  そしてそのまま,現在も行方不明のままである.
  手がかりさえないそうだ.
  「陸軍中野学校の東部ニューギニア遊撃戦」(田中俊男遺著,
戦史刊行会)より.
589 名前:名無し三等兵 [] 投稿日:2000/11/07(火) 11:16
>581
今頃ニューギニアのジャングルで白骨化してるんだろうなあ。
浮かばれないね。
なんまいだぶ
590 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2000/11/07(火) 11:20
>>589
原住民に食べられちゃったのか?
643 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2000/11/07(火) 22:04
>>581
これってアメリカ軍側の資料とかからはわからないんですかね?
餓島並みの全滅である事は間違いないんだろうけど知られないままってのは
悲惨すぎるからね…
647 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2000/11/07(火) 22:29
>>581

そして米軍側にも資料が無ければ、寧ろオカルト板の話題だよなあ(ぞお〜
752 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2000/11/08(水) 15:07
>>643, >>647
  同じ本の記述から.
  その行方不明部隊には中野学校出身者が5,6名いたらしいとのことで,ルバング島の小野田少尉
救出の例もあったことから,戦後,中野出身者の集まりである中野校友会が救出資金をカンパ,
日本政府を通じ,オーストラリア軍に依頼して捜索したが,何の手がかりもなく現在に至っている,
とのこと.
  当然ながら,米軍の資料にもないだろう.
753 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2000/11/08(水) 16:21
>>752
無いと言うより膨大な資料の中に埋もれていると考えた方が妥当ですねえ…
ただ、攻撃もされないまま放置され補給も無く撤退も降伏も出来ず死んでいったと
考えるのはちと悲惨すぎな気もしますし…
901 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2000/11/18(土) 03:43
やはりニューギニアで実際に聞いた話。
旧日本軍と連合軍に現地人が積極的に協力したのだが…。
どっちに味方するかは、早く出会った順だったそうな。
110 名前:名無し三等兵[] 投稿日:02/02/16 20:43
ニューギニヤでは友軍の肉を食ってた。はじめは死体の肉をそぎ取って食うだけ
だったが、ついには生きている人間を集団で殺して食べていたという。
とくに、太った新兵が真っ先に犠牲になった。

1944年12月に、飢餓の激しいニューギニア方面第18軍司令部から、
「連合軍の屍肉を喰うことは許すが、友軍の屍肉の場合は処罰する」という旨の
正式命令が発令された。しかしそのせいで逆に人を食べればいいということを知
った将兵の間で人肉食が増えてしまった。
飢餓が余りにもひどい地域だったので、戦後の東京裁判では飢餓が原因の人肉
食は裁かれなかった。
618 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:04/09/25 17:02:34 ID:???
戦争末期のニューギニア。所属部隊は四散し、現地自活を強いられた皇軍兵士。
その生き様は当人の器量によってさまざまだったが、中には数人の仲間で狩猟に
より捕まえた野豚を加工してベーコンにする小工場を作るに至る者達までいた。
当然栄養状態も良好で血色も良く頑健な肉体を維持した彼らを見た同じ皇軍兵士
(そちらは苦労しまくってやせ衰えガリガリ)が驚いて逃げ出すほどであったが、
その後取り分を巡って仲間同士で殺し合いになり、最後に残った一人が復員を果
たして当時の手記を残す事になる。
なお、その最後の一人は、一人でヒマなんで毎日槍投げの練習していたら、しまい
には50m以上先の的に百発百中にまでなったらしい。
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