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東欧・オーストリア
- 663 名前:今書いてても信じられん[] 投稿日:01/10/17 20:28 ID:+YgOHkPf
- WWUの最中、ソ連軍の捕虜となったポーランド軍将校3人がシベリアの
- 強制収容所を脱走。
ユーラシア大陸のど真ん中を北から南へと徒歩で歩き通すという途方もない
- 脱出行を敢行し、ブータンからインドへと到着。
しかも途中のヒマラヤ山系にてイエティ(雪男)を目撃というオマケまであるという・・・。
- 664 名前:名無し三等兵[] 投稿日:01/10/17 20:29 ID:z5jbnCzi
- >>663
この人達、何年ぐらいかかって移動したんですかね?
- 32 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:01/10/29 14:43 ID:7fX2wWTe
- 第二次大戦中、クロアチアを支配していたファシスト政党「ウスタシャ」の指導者
- パヴェリッチのもとをある人物が訪ねた。
見ると机の上に籠いっぱいの牡蠣のようなものが盛られていた。
- それは何かと訪ねるとパヴェリッチはこともなげにこう答えた。
「それは私の支持者からの贈り物でね。」
「セルビア人の眼球だよ。」
- 489 名前:ニコフ47[sage] 投稿日:01/12/24 01:03
- リトアニアにはアミューズメントパーク「スターリン・ワールド」がある。
- 704 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:02/01/11 23:39
- このスレではそんなに驚くような話でもないかも知れない。
1875年オーストリア生まれのバイオリンの巨匠フリッツ・クライスラーは、
第1次世界大戦で陸軍に従軍して塹壕戦を経験したが、
彼はその「超」敏感な耳で、飛んでくる弾丸・砲弾の空を切る「音」だけから、
敵陣の方向、距離、国籍までも言い当ててみせた。
また、彼は本職のバイオリニストとしても、20世紀を代表する一人である。
- 19 名前:眠い人 ◆ikaJHtf2 [ ] 投稿日:02/05/24 08:22
- 第一次世界大戦、オーストリア・ハンガリー二重帝国海軍の海軍中尉、
ゲオルグ・リッター・フォン・トラップ海軍中尉。
彼はオーストリア・ハンガリー二重帝国海軍の潜水艦エースで、1915年
にフランスの装甲巡洋艦「レオン・ガンベッタ」、イタリアの潜水艦「ネリーデ」を
撃沈し、商船も12隻(45,668総トン)沈めている。
彼の乗艦は、最初U-5だったが、後にフランス潜水艦「キューリー」を捕獲
した(要は撃沈されたのを引き揚げ、再生した)、数奇な艦であるU-14に乗り
組んでいた。
U-14はその後、フランスに返還され1928年まで現役に就いていた。
で、そのトラップ海軍中尉とは、後に「サウンドオブミュージック」のモデル
でオーストリアからの脱出行で有名となった「フォン・トラップ・ファミリー合唱団」
の父親その人である。
- 238 名前:眠い人 ◆ikaJHtf2 [sage] 投稿日:02/08/18 21:25 ID:???
- 第二次世界大戦のポーランド空軍のスコアには、日本機三機の撃墜記録
があったりする。
信じられないが本当だ。
- 240 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:02/08/18 21:58 ID:???
- >>238
信じられません
- 241 名前:眠い人 ◆ikaJHtf2 [sage] 投稿日:02/08/18 22:04 ID:???
- >240
種明かしすれば簡単。
ビトルト・ウルバノビッツというパイロットが居る。
彼は飛行学校の教官を務めていた人だが、祖国を占領されるとルーマニア、
次いでフランスに亡命し、そこも安全でなくなって今度は英国に亡命。
英国で戦闘した後、米国のポーランド大使館駐在武官として赴任した。
しかし、現役復帰を願い続け、1943年、それは遂に叶った。
但し、配属先は中国戦線の米軍飛行隊。
ここで日本機3機を撃墜したもの。
なお、この人の通算の撃墜数は19機に達する。
- 250 名前:名無し三等兵[] 投稿日:02/08/19 19:09 ID:tqVNOyhW
- ww2の日本参戦前ヨーロッパの在欧日本駐在武官、外務省への情報提
供者にイギリスにある亡命ポーランド政権に所属するポーランド軍人が
多数いて、ドイツ、ロシア情報その他を提供していた。
- 293 名前:七誌三等水兵[sage] 投稿日:02/08/31 22:55 ID:???
- >>250
ドイツの大使がああだったから、その関係は第二次大戦勃発前に既に
外務省の出先が作っていて、その繋がりでは無かったかしらん。
一説によると、某有名外交官もその繋がり作りに大きな関わりがあっ
たと言うのを何処かで読んだ覚えが…。
- 562 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:03/09/20 23:27 ID:???
- まだワルシャワ・パクト華やかりし頃、
対ソ援助の末路とも言うべきアメリカ製車両が多数、東欧には残っており、
数少ない目撃情報では、中にはバンタム・ジープなどのレア物もあったため、
輸入を試みた西側マニアがいたらしい。
当時は輸入が至難の業だったのだが、
いざ、鉄のカーテンが開かれて、それっとばかりにブローカーが殺到すると、
タッチの差でスクラップになったりしていたケースが多かったとか。
- 491 名前:名無し三等兵[] 投稿日:04/03/10 22:33 ID:dBF5zSWl
- プラハ進駐が行われた直後のアイスホッケー国際大会。
チェコ対ソ連の試合ではパックそっちのけでソ連選手めがけてスティックを
- 振り回していたそうな。
- 492 名前:名無し三等兵[] 投稿日:04/03/10 23:23 ID:qzNjsHk8
- >>491
オリンピックの水球のソ連対ハンガリ−(だったかな)もすごい乱闘の
試合になってプ−ルの水面に血が浮かぶことになった
たしかハンガリ−動乱の後だったと思う
- 139 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:04/06/14 02:33 ID:???
- 史上初のターボジェット機は1939年のハインケルHe178であるが、史上初の
- ジェット機は1910年にルーマニア人ヘンリ・コアンダの製作した機体である。
地上運転中に予定外に離陸してしまい、操縦者が慌てたために失速墜落した。
1910年12月10日、これが史上初のジェット機の飛行である。
http://www.allstar.fiu.edu/aero/coanda.htm
ちなみに、コアンダのジェット機は↑URLの写真のとおりにレシプロエンジン駆動の
- 圧縮機を機首に載せ、ジェット排気口は機首両脇に開いている。
信じられないが本当だ。
排気炎は予想に反して(今日では常識となった"コアンダ効果"によって)胴体の
- 曲面に沿って(つまりは操縦席の両脇を)流れた。
あるいはこれも操縦者をパニックに陥れた原因であったかもしれない。
ともあれ、コアンダはこの現象(スプーンと水道の蛇口を用いて小学校の理科で
- 習うあの現象である)を解析したことによって、史上初のジェット機開発者として
- よりも「コアンダ効果」の発見者として有名である。
信じられるし本当だ。
- 484 名前:眠い人 ◆ikaJHtf2 [sage] 投稿日:04/06/30 22:26 ID:???
- 敗色の濃い枢軸国から離脱すべく、東欧各国は色々と工作していた。
地続きのブルガリアは兎も角、連合国から遠い各国はItalyに向けて、飛行機で連絡を
試みていた。
例えば、ハンガリーはHe-111をソ連領空偵察と偽って逆方向に飛ばしてみたり。
1944年8月末、ルーマニア政府は連合国との交渉の為、彼の空軍のトップエースを
連合国に派遣した。
彼は捕虜で階級が最上位の米陸軍中佐と共に、愛機のBf-109Gを駆ってItalyの米軍
基地に赴き、そこに見事な着陸を見せた。
一日、彼は其処に滞在して、外交任務を済ませたのだが、その間、彼の愛機は、
試しに乗ってみたくなった米陸軍航空隊の兵士により、離陸時に破損してしまった。
そこで、彼はかねてから乗ってみたいと思ったP-51を所望し、その希望は叶えられた。
彼には、実戦使用期間が過ぎた、P-51Bが与えられたのである。
ちなみに、そのP-51Bは、エースの使用機で、この機体はルーマニア空軍のBf-109G
を少なくとも一機落としている。
数日後、再び彼はこの機を駆ってItalyに向かい、帰りはまた別のMustangに乗って帰って
きたと言う。
信じられないが、本当だ。
- 249 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:04/10/26 03:21:49 ID:???
- オーストリアは東の領土「オスト(東の)」に由来する。
オーストラリアは「アウストラル(南の)」に由来する。
この二者を混合する馬鹿者が多いため、オーストリアの土産物屋ではこういうシャツが
売っている。
「There are No Kangaroo!!!」(丸印の中にカンガルーにバツが描かれた絵)
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