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日中戦争


845 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2000/11/13(月) 12:01
中国戦線のどこかは知らないが、一人逃げ遅れて
中国兵に追われ、橋の下に逃げ込んだらそこに中国兵
が溜まってたので、覚悟して軍刀を振り上げて「こらーー!!」
と叫んだら、中国兵が逃げ去って助かったというのがあるらしい。
新聞にも載った実話。
888 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2000/11/17(金) 14:30
日中戦争の最中、陸軍・本庄繁大将の部隊がラジオの放送機材を戦場に持ち
込み満州の軍閥・馬占山将軍との戦闘の様子をラジオの全国ネットで実況中継。
677 名前:名無し三等兵[] 投稿日:01/10/17 23:57 ID:Z3EbXg6/
中国での日本軍の話。

ある風の強い日、ゲリラが潜伏しているとおぼしき村を高台から迫撃砲で
攻撃していると、撃った砲弾が突如空中で爆発、周囲の者が死傷した。

その原因はなんと風に飛ばされて舞っていた木の枝が信管に当たったた
めだったらしい。
86 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:02/02/15 03:30
南京に駐屯していた日本軍の高森部隊が『西遊記』のモデルとなった玄奘三蔵の
墓を発見、発掘する。
玄奘三蔵は664年に長安で死去し、洛陽郊外に葬られたが、11世紀に弟子達に
よって頭の部分だけが南京の天『しめすへんに喜』寺(読み不明)の側に葬られたもの。
石棺にはその経緯が詳しく記されており副葬品もそっくり出土した。
1943(昭和18)年2月13日、出土品は全て南京政府(汪精衛政権)に返還、翌
1944年には南京郊外の玄武山に塔が建てられ、日中双方から重光大使や仏教界の
代表者が出て、盛大な式典が行なわれた。
現在では遺骨は、麓の霊谷寺に葬られているという。式典の際、発見者である日本
にも分骨の申し出があり、1944(昭和19)年10月、遺骨の一部が持ち帰られ、一時は
埼玉県の慈恩寺にまつられていたが、最終的に薬師寺に納められた。
戦後、遺骨返還の問題も出たが、1946(昭和21)年、当時の蒋介石政権から『ご頂骨
は返還しなくてもいい。広く顕彰することは、むしろ喜ばしいことである』という正式な
通達があった。
(『産経新聞』2001・7・26)
87 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:02/02/15 08:36
>86
文革の愚行から救われた、って話ですね。
8 名前:名無し三等兵[] 投稿日:03/06/18 23:28 ID:K6XKIlSJ
信じられないと言うほどの話でもないかもしれないが

日本を爆撃するためにB-29の基地を中国に作る事になった。
場所は、4箇所。
で、中国側は20万人の人を動員して3ヶ月ほどで完成させた。
アメリカ側は、土木機械を使って工事をしようと考えた。
が、当時海路は日本側に押さえられていたので、輸送経路は殆どが
空路であった為、必要な土木機械を運んで、その後工事。
とすると、人海戦術よりも、遥かに、金と時間が掛かると言う事が判り、
人海戦術でやることに成ったらしい。

その後、人海戦術により、滑走路は期日通りに完成。
第58爆撃航空団は、基地に展開するために、大西洋方面を経てインド
に到着した。
が、滑走路は完成したが、B-29を運用するために必要な機材等は当然
揃っていなかった。
インド、中国方面に展開していた輸送機は中国への支援物資等の輸送
で手一杯であり、B-29基地向けの物資を輸送する余裕などは無かった。
仕方が無いので、第58爆撃航空団は、一旦兵装関係を全て取り払い、
自分たちを運用するために必要な機材を積み込んで、輸送任務に従事した。
更にこの頃、中国方面で、日本軍が大攻勢に出たので、大量の戦略物資が
必要になり、B-29は、その為の輸送任務にも駆り出された。
だから、第58爆撃飛行団の初期の任務は、輸送任務ばっかりだった。
9 名前:名無し三等兵[] 投稿日:03/06/18 23:58 ID:/Pjbc8qo
>>8
>だから、第58爆撃飛行団の初期の任務は、輸送任務ばっかりだった。

なんか、中国戦線ってのどかだねぇ。
10 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:03/06/19 00:20 ID:???
爆撃飛行団に輸送任務をさせねばならぬほど、せっぱ詰まった状況だったともとれなくはない
11 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:03/06/19 00:25 ID:???
>>8
あの辺りは悪天候が多くて気流も悪く、オーバーロードでの山越えはかなり
厳しかったらしいね。
おまけにその頃のB29はまだまだ信頼性に乏しくて、件の輸送任務で相当数が
失われたらしい。
12 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:03/06/19 01:03 ID:???
つーか、航空機用の良質燃料がなかったから
B29で、ヒマラヤ山脈越えて輸送してた。

これじゃ燃料溜まらないから、爆撃頻度も少なく
本格的な爆撃はマリアナ諸島を占領するまでほとんど行われなかった。
27 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:03/06/19 19:10 ID:???
話を戻すが、オーバーロードで失われたB29の機体は、その後中国からの日本本土
空爆で失われた機体より多い。

あのへんの少数民族とか、拾った残骸で家建ててたりして(笑)
503 名前:名無し三等兵[] 投稿日:04/01/29 19:38 ID:xkxbigCq
日中戦争の頃、日本軍の制式弾は6.5mm口径だった。
対する中国軍はバラバラだったものの、
中国の兵器工廠では7.92mm口径の弾が生産されていた。
6.5mm口径の日本軍の11年式軽機関銃は
中国軍に向けて射撃していたところ、
いきなり機関銃に衝撃が走った。
銃手はびっくりしたものの、調べてみると、
敵弾が銃身にどんぴしゃり入り込んでいた。
ただ、サイズが向こうのが大きいので
途中まで入り込んで止まっていた。
当然、銃身は使えなくなったものの、
もう少しでも弾がそれていたら銃手は死傷していただろう。
ある意味これも幸運な事例と言える。
506 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:04/01/29 21:16 ID:???
銃弾が正面からかち合うのはよくあったことらしい
2つの銃弾が融合したものが古戦場からたくさん見つかって
どこかの戦国時代の資料館にあるらしい、テレビで見た
4 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:04/02/15 13:37 ID:???
日中戦争の際、最前線の中国側陣地よりこのような放送が流れてきた。
「日本軍の皆さん、もしもこちら側に投降してきましたら、
  兵ならば1000元、士官ならば2000元、将は5000元と、それぞれに
  大きな屋敷と召使ときれいなオネエチャンをさしあげます」

その放送を聞いた翌日、一人の日本兵が将官の制服と共に姿を消した、らしい。
154 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:04/09/01 02:21 ID:???
日中戦争で、中国大陸に展開した日本機は激しい黄砂のため、
エンジンがすぐに駄目になってしまった。

そのため色々なエアフィルターを試したのだが、
一番良かったのは、ヘチマだったそうな
706 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:04/09/08 23:44 ID:???
手裏剣術の宗家が中国戦線に下士官として出征し、
手榴弾を投げようとした敵兵を手裏剣で倒したことがある。
残念であるが、この手裏剣はマンガチックな八方手裏剣でなく
畳針のような棒手裏剣であった。
715 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:04/10/17 15:49:05 ID:???
支那事変でのこと。日本兵が中国の地方都市に到着すると
どこからともなく若い女性が出てきて、空き家に招き入れると
ズボンを脱いで下半身を丸出しにした。
どうやら命さえ助けてくれるならそれに越したことはないと考えたらしい。

信じられないが本当だ。
716 名前:名無し三等兵 [sage] 投稿日:04/10/17 16:09:10 ID:???
被害担当者を立てるほど、恐れられていたということだな。
717 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:04/10/17 16:27:03 ID:???
進駐軍が来た当初の日本もそんな感じだし
67 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:04/10/23 10:20:35 ID:???
支那事変でのこと。日本兵が中国の地方都市に到着すると
どこからともなく若い女性が出てきて、空き家に招き入れると
ズボンを脱いで下半身を丸出しにした。
どうやら命さえ助けてくれるならそれに越したことはないと考えたらしい。

この話には続きがあり、ある家に入ると下半身が丸出しで下半身血まみれの
中年女性がしきりに下半身を指差してうめいている。
話を聞くと敗残シナ兵に迫られて拒否したところ、下半身に銃剣で文字どおり刺された
ようだ。急いで救護所に連れて行ったが助かったのかは不明。

この話は信じられないが本当だ。
http://ww1.m78.com/topix-2/persuit.html
306 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:04/12/19 22:51:42 ID:???
日中戦争で日本軍の進軍を止めるために蒋介石の命令で中国軍が黄河の
堤防を決壊させたのだが、それによる中国人10万人弱の被害に対して、
日本軍は一人も死なず、被災民の救助をする余裕すら見せた。
もっとも日本軍の進軍を送らせる目的は達した。
まあ信じられないほどでもないか。
135 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:04/12/30 22:28:53 ID:???
郭沫若の『抗日戦回想録』によれば、中国に派遣された
I15、I16のパイロットは、戦闘機の翼の下にテントを
張って生活していた。

もうちょっと待遇が良くてもいいと思うんだが・・・・
そんなもんかね?
136 名前:名無し三等兵[] 投稿日:04/12/30 22:57:52 ID:LsF3s4ZP
>>135

部品盗りが横行してたんで、自分の機体は自分で守らないといけない、とか?
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