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牟田口廉也
- 763 名前:£@歴史抹消主義[] 投稿日:01/10/21 17:30 ID:uA0fJ6ia
- ▼太平洋戦争の行く末が見え始めた1944年6月。
同年1月より 『ビルマ戦線を安定させる為』 と云う名目で行われていた
- 【インパール作戦】も、各戦線から日本軍の劣勢が作戦指揮する第15軍指令部に
- 伝えられるようになった。
そんな中、第15軍指令牟田口廉也中将は、今まで司令部のあったインタギーより
- 前線に近いクンタンに司令部を進出させた。 そして、劣勢を挽回すべく、牟田口は
- 最後の手段に討って出た!
▼まず、
指令部脇にあった丘を整地し、そこへ続く道に鳥居を建立。 続いてその頂上に
- 玉石を敷き詰めると、牟田口はそこに土下座。 そしておもむろに、八百万の神に
- 祝詞を上げ始めた!
▼その場面を見た中井悟四郎中尉の話。
「私たちはアメーバ赤痢にかかって便所通いしてるもんですから、夜も寝てないし、
- 腹に何も入ってない。 その声が体にこたえましてねぇ。最初は、どこのばか野郎だ、
- こんな朝早くから呪文みたいなものを唱えやがってと話していたら、軍司令官だった
- というじゃありませんか。そんな神頼みをはじめたというので、こりゃ、この作戦はいよいよ
- ダメだと思いました」
▼ま、
危機を迎えた時の日本人らしい反応と言えば、日本人らしい反応と云えるでしょう。
▼但し、
軍司令官がとる態度としては問題アリアリですが……(^^;
- 51 名前: [] 投稿日:01/10/31 18:45 ID:xoHDJuop
- 名前:名無し三等兵 投稿日:2001/04/17(火) 19:43
シュエジンの戦闘司令所に於いて・・・・・・
牟田口中将
「藤原、これだけ多くの部下を殺し、多くの兵器を
失った事は、司令官としての責任上、私は腹を切ってお詫びしなければ、
上御一人や、将兵の霊に相済まんと思っとるが、貴官の腹蔵のない意見を聞きたい」
藤原参謀
「昔から死ぬ、死ぬといった人に死んだためしがありません。司令官か
ら私は切腹するからと相談を持ちかけられたら、幕僚としての責任上、
一応形式的にも止めないわけには参りません、司令官としての責任を、
真実感じておられるなら、黙って腹を切って下さい。誰も邪魔したり止
めたり致しません。心置きなく腹を切って下さい。」
(『軍事研究』2000年5月号、p156より一部抜粋)
- 62 名前:名無し三太郎[] 投稿日:01/11/01 23:48 ID:2hivnhdE
- >>51
いいや、藤原氏の発言は信じられないどころか、当然だ。
それが証拠に結局あの馬鹿野郎は最後まで切腹などしなかっただろう。
藤原氏の発言は、よく言った、感動した!と誰もが思う名言だ。
何であんな馬鹿野郎が戦争指導者だったんだ。存在自体が利敵行為じゃないか。
あああ、何か無性に腹が立ってきた・・・・
- 68 名前:£@歴史抹消主義[] 投稿日:01/11/02 18:11 ID:3FsmgbF/
- >>51さま
>>62さま
だって、だって 牟田口の辞書には「反省」と云う文字はないんだもん!(笑)
HPで使ったネタですが、『特集 文藝春秋 ー日本陸海軍の総決算ー』(昭
和30年発行)に牟田口の自伝が載ってるのです。 で、この自伝、インパール作
戦の事に関しては一切触れずに、開戦当初、牟田口が指揮して大成功を収めたブ
テキマ高地攻略を事のみ細かに書いています。
んで、その絞めにはこ〜書かれています。
今瞑目追想すると轉た古今の感じ堪えないのである。それから四年目に再びこの
地は戦わずして英軍の手に歸したが、山野に眠る英霊の感想は果たして何如であろ
うか。その偉勲に対し深甚なる感謝の誠を捧げ、心から冥福を祈って熄まないので
ある。
ブテキマ高地の前に、インパールでしょ? あんたの場合…… と思わずには
いられませぬ〜(苦笑)
- 206 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:03/08/21 01:32 ID:???
- インパール作戦のとき、牟田口中将はビルマの町メイミョウに
司令部をおいたが、日本から料理人と芸者を呼んでいた。
- 78 名前:名無し三等兵[age] 投稿日:04/09/14 11:46:48 ID:???
- 自ら考案したインパール作戦を「ジンギスカン作戦」と名づけて得意になっていた
牟田口中将であったが、彼が戦後に経営した中華レストランは「ジンギスカンハウス」
という名前だった。インパール作戦の結果はご存知の通りで、将兵の恨みを買いそうな
このレストランの名前は信じられない神経だが、本当だ。
- 46 名前:名無し三等兵[age] 投稿日:04/12/15 19:21:41 ID:???
- 補給に困っていたはずのビルマ方面軍。本土から海軍の護衛を受けて
命がけで軍需物資を輸送している貴重な輸送船団の使い道は
呆れるしかないようなモノだった。以下、従軍記者の述懐。
「ラングーン一流のクラブをいただいて、そこに陣取ったこの一隊は総勢150名になんなんとする大部隊で、
芸妓、はんぎょく、はもとより女中、下働き、料理番。これまではわかるがあとが凄い。
髪結いさんに三味線屋、鳴物屋、仕立てやに洗い張り屋にお医者さんまで、
これが婦人科兼泌尿器科医であることはもちろんのことだ。
それに青畳、座布団、屏風、障子、会席膳一式まで
海路はるばる監視哨つきの御用船で、つつがなくラングーンに御着到になったのだ」
このラングーンにそのまま移築された料亭の大口ユーザーはご存知、
「例のお方」だ。この、海軍が積荷を知ったら激怒しそうな帝国陸軍の行状は
信じられないが本当だ。
- 48 名前:名無し三等兵[age] 投稿日:04/12/15 19:45:29 ID:???
- 47の続き。
「湿気の多いビルマでは三味線も太鼓も、鼓も、こわれやすいし、御相手がお相手で、相当の破損を覚悟してのこと、
暑いビルマではおべべも、汗まみれになるというので仕立屋さんや、洗い張り屋さんの配属となったもの。それでも
輜重行李から、衛生隊まで引きつれての進撃ぶりは大したものだ。それだけにお値段も滅法おたかく相手にも
してくれなかったが、なにもかも留守宅送金の僕ら軍属どもには無用の長物、高根の花だった。
灯ともしごろともなれば、青、赤、黄の小旗のついたトヨダさんが門前に並んで、椰子の樹陰から粋な音じめがもれてくる
という始末で、チークの床に青畳を敷きつめた宴会場では明石か絽縮緬の単衣かなにかをお召しになった久留米芸者の
お座付きからはじまってあとは、例によって例の放歌乱舞が日ごと夜ごとの盛宴に明け暮れていた。」
この従軍記者は客のことを「星の旦那」と名づけていた。
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