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ロシア人
- 11 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:03/12/24 23:47 ID:???
- 後の赤軍元帥トハチェフスキーと後のフランス大統領シャルル・ド・ゴールは
第一次大戦中はドイツの同じ捕虜収容所に収容されていた。そしてこの二人の
武人は近代戦術について盛んに論議し友情を深めた。トハチェフスキーが捕虜
交換で出獄するときトハチェフスキーにド・ゴールは「貴方はさぞ名家の出身なのですね」と
- ド・ゴールが言うと「いいえ、私はただの一兵卒です」とトハチェフスキーは答え
ド・ゴールがその慎ましさに敬意を払った。だがトハチェフスキー家はかつては
名を馳せた貴族の家柄だったが第一次大戦のころには没落し本当にただの一兵卒
としてトハチェフスキーは従軍したのだった。ちなみにフランス語は通信教育で
身に着けたとか。
- 818 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:04/02/08 04:21 ID:???
- ・食器としてのフォークはナイフよりもあとに発明された
・発明当初はフォークを使うのは下品だとされた
・最古の食器はスプーン。
・ナイフもフォークも使わずに食事をしているベリアを叱ってスターリンが
- 「ナイフを使え」と命令。 ベリアは「わかりました、ニキタ。誰を?」
- 865 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:04/02/08 20:46 ID:???
- >>818
正しくはこうだったような・・・
スターリンと幹部たちが食事をしていたときのこと
育ちの悪い(貧農の生まれで14才から炭坑で働いていた)
フルシチョフはマナーなどおかまいなしで、手で肉を取り引きちぎって食べていた
それを見かねたスターリンが注意する
スターリン:「ニキータ、ナイフを使うんだ!」
フルシチョフ:「誰を!同志スターリン!!」
- 936 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:04/09/12 15:15:23 ID:???
- 総理大臣になると、将棋を知らなくても将棋6段の免状を貰える。
・・・日本将棋連盟が勝手に認定して送って来るんだと。
ところで我らがプーチンは講道館を訪問した際に六段の紅白の帯を贈られ、
その場で締めるよう求められたのだが
「私は柔道家で、六段の重みはたいへんよく知っています。私はまだこの帯に
相応しくない。国に帰って修行を積み、この帯を締めるだけの力を身につけてから
はじめてこの帯を締めたい」
と言ったとか。
- 937 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:04/09/12 15:46:56 ID:???
- 元KGBのケースオフィサーの割りには謙虚だねW
- 938 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:04/09/12 15:48:45 ID:???
- >>936
やたら元帥やら総元帥やら量産しまくってた国の人とは思えんね。
旧ソ連陸軍には「機甲元帥」「工兵元帥」や「通信元帥」といった階級があった。
これら「兵科元帥」の上に航空・機甲・砲兵の「総元帥」があり、
そのまた上が「ソ連邦元帥」だったりする。
特定兵科につかない場合「上級大将」→「ソ連邦元帥」みたいだが、
兵科については「上級大将」がなく「兵科大将」→「兵科元帥」らしい。
- 363 名前:名無し三等兵[age] 投稿日:04/11/17 20:34:27 ID:???
- ガガーリンは宇宙から帰還した後、暗殺されたというのが濃厚。
彼は帰還後、有名になりすぎ、政治的な発言をするまでにいたった。
それに危機感を抱いた党が、テストパイロットとして戦闘機に搭乗させ、
案の定爆発、指が数本だけしかでてこなかったという。
小学校の頃聞いて、かなりショックだった。
ソースは深夜やってたNHKの宇宙開発競争の特集
- 365 名前:名無し三等兵[] 投稿日:04/11/17 20:48:41 ID:8SybBcfM
- >>363
公式には、教官として練習生と練習機で飛んでいた時に、Gで練習生が失神。
練習機は地面に向かって急降下。 なんとか引き起こそうと努力したガガーリン
だったが、失神した練習生の手が操縦桿を握りしめていたために操縦不能に陥った。
一人でベイルアウトすれば助かったのだが、ガガーリンは練習生を見捨てる事が出来ず、
最後まで懸命に弾き起こしをしたが・・・
という事だった。
- 414 名前:名無し三等兵[] 投稿日:04/11/19 10:50:34 ID:tT2z45sq
- 大戦中のソ連軍に特徴的だった歩兵用対戦車銃。その弾丸の製造には多大な
労力を要した。
製造工程で焼入れの不十分な不良品が生じる場合があり、このような弾丸は
貫通力が不足であった。この検査のため、一箱からランダムに五発の弾を取り出して
破壊検査を行い、不良品があった場合は箱全部が再溶解にまわされた。これによるロスは
1.5%にのぼった。
さらに危険な不良品として、亀裂の入った弾丸があり、これを撃つと銃身が破裂した。
若い女子工員が十一時間交代で肉眼による検査を行ったが、これは地獄のような重労働で、
しかもしばしば不良品が見逃され、試射場で銃身が破裂する事故が起こった。
このような場合は1ロット5万発全てが再溶解となった。
1943年末、モスクワ大学を出たての22歳の青年が工場に派遣され、1ヶ月で磁気を利用した
非破壊焼入れ検査装置を開発、報奨金三千ルーブルを獲得。さらに44年には超音波を用いた
亀裂入弾丸の自動選別機を開発し、作業の効率化に大いに貢献した。
この青年の名はアレクセイ=サハロフ。後にソ連水爆の父と呼ばれた男である。
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